自己肯定感について考える 〜はるちゃんママの備忘録〜

育児ブログです。最近、よく耳にする自己肯定感をテーマに、どのように育児すると心の強い子にそだってくれるのか。日々格闘中。はるちゃん、もうすぐ小学生。

「ママの宝物知ってる?」クイズ

不定期で、忘れた頃に出すクイズ。

 

「ママの宝物、なんでしょう〜か?」

 

始めたのは、年少の頃だったと思う。

 

年齢的にも注意することが増え、何となくイヤイヤ期のような感じで、きちんと愛情が伝わってるか不安になったのだ。

 

初めて聞いたときは、不正解。

 

「答えはね〜はるちゃん!」

 

それを聞いたときの表情をハッキリと覚えてる。

 

照れてモジモジした態度だった。とっても恥ずかしそうだった。

 

「ママの宝物」

 

このフレーズが、子供にとって「当たり前」ではないことを実感した!

 

それを聞いていたパパも、恥ずかしそうに顔を歪めてた。日本人には、抵抗を感じるフレーズなのかもしれない。

 

はるちゃんがパパに聞いた。

「パパの宝物は?」

一瞬、照れて顔が歪んだが、

「はるちゃんだよ」

と答えた。

 

今では、「私でしょ〜」と即答する。

 

自信満々に。

 

逆に、「ママとパパが世界でいっちばん、メッチャメチャ大好き」

 

と言って、ホッコリさせてくれる。

 

 

私の生い立ちは、物質的には何不自由のない生活を送らせてもらった。親は共働きだったが、毎晩の食事はとても手がこんでいたし、毎年、家族旅行にも行った。夏には恒例で、キャンプに出掛けていた。

 

しかし、

 

今から考えると、母親は愛情表現が極度に苦手だと思う。更年期だったからか、夫婦仲は悪くなかったが喧嘩が多かった。

 

とにかく、母親の機嫌が悪いと、怒られるばっかりで、いつ怒り出すか分からない。寂しさを感じる表現も多々あった。

 

それでも、人格を否定されることはなかったし、学習面でダメ出しされることもなかった。良く言えば放任主義だ。本来の意味とはかけ離れてるが…。

 

だけど、

 

 

褒められた記憶がない。

認めてもらったこともない。

 

 

満足な生活が送れていても、私は幼少の頃から、ずーっと不安だったのだ。悪夢をしょっちゅう見てた。内容は親がどっかに行ってしまう夢。

 

親は、満足な生活をさせていれば、親としての役割は遂行できてると思ってたと思う。

 

そうじゃない!!

絶対に間違ってる!!

 

子供の心に、愛情が浸透するような態度、表現が絶対に必要なのだ。

 

時には、恥ずかしいくらい具体的に直接的に伝えてあげて欲しい。

 

伝わってると過信せずに。

 

その言葉を糧に、色んな試練に立ち向かえる、強い心を手に入れることができる。

 

ちなみに、私は20歳台前半まで、あらゆる事に反抗しまくっていた。人の愛情(存在意義)を確かめるかのように。

 

 

日々の生活がトゲトゲだったとしても、最初で最後でも構わない、真剣に伝えてあげて下さい。